Column
Our Roots

 19 March, 2016    糸居五郎のオールナイトニッポン /糸居五郎    
 
 糸居五郎のオールナイトニッポンを聴いたことがあるだろうか?かれこれ40年前OGが中学生の時、深夜放送全盛時代の話だ。二部構成のオールナイトニッポンの第二部、午前3時、“Bittersweet samba”の軽快なリズムに乗せ、独特な抑揚のある軽やかなナレーションで番組はスタートする。“夜更けの音楽ファンこんばんは、明け方近くの音楽ファンご機嫌いかがですか?糸居五郎のオールナイトニッポン ! ” 笑福亭鶴光やあのねのねなどがトークと笑い、リスナーからのハガキをとりあげることで人気を博す中、糸居はウルフマン・ジャックに代表されるアメリカンスタイルで洋楽を紹介する、日本で唯一の本格派DJだった。自ら選曲したRockやSoul、Jazzのごきげんなナンバーを紹介しターンテーブルを回す。リクエストに応えることもあるが、音楽の流れを妨げるような無駄なしゃべりは極力挿まない。曲の合間の決めゼリフ“Go Go Go & Goes on !”は、糸居の代名詞だ。
 
 中二も夏を過ぎると男子は大人の世界に対する興味が強くなる。受験生や大学生の間で盛り上がっているという深夜放送を中坊たちも聴き始める。夜更かしすること自体にわくわくする年頃だ。で夜中にラジオを聴いてはみたものの、OGには今ひとつピンとこない。そもそも学校にはほとんど遊びに行っているようなもので楽しかったし、隣に住んでいる同年代の従兄弟たちや弟と過ごす羽目を外した日常も、わざわざ深夜放送を聴くまでもなくすでに面白かったのだ。しかしラジオをかけたまま眠ってしまったある夜、夜明け間近、それまで聴いたことのない音楽とクールなDJの語りで目が覚めた。すごいものを見つけたと思った。興奮冷めやらぬまま学校へいき、友人を捕まえ、あいさつもそこそこに問いかける、“糸居五郎のオールナイトニッポン、聴いたか?Go Go Go & Goes on ! ”
 
 糸居は1921年東京の小石川に生まれ、高校卒業後、満州の和田英学院で英語を学びアナウンサーとなる。糸居のテンポのよい語り口には英語のイントネーションとともに、江戸っ子の粋、ダンディズムが感じられ、時には小気味のよい啖呵のようにも聞こえる。Beatlesの“Love me do”を日本で初めてオンエアし、1971年には“50時間マラソンジョッキー”という日本初の試みを成し遂げ、本当のDJとは何かを体現しつづけた。局アナ定年後の1984年、1万枚におよぶレコードコレクションを残し63歳でこの世を去った。糸居の主戦場、午前3時は不思議な時間帯だ。丑三つ時を過ぎ、眠っていた草木も暗闇に朝の最初の気配を感じ取る。空中に浮遊する朝露の粒子をまとい夜明け前の透明な光を帯び増幅した電波はベッドサイドの少年のラジカセと世界をつなぐ。糸居は普段耳にすることのない様々な音楽をOGに届けてくれた。Herbie Hancockの“Watermelon man”やCommodoresの“Machine gun”を知ったのもこの番組だったし、スウェーデンのブラスロックバンドBlue Suedeの“Dr Rock’n’roll”にノックアウトされ、繁華街のレコードショップを捜しまわり、2年後にやっとDisc Unionの廉価盤コーナーで、この曲を含む輸入盤のLPを手に入れたりもした。(彼らの全米1ヒット“Hooked on a feeling ―通称“ウガチャカ”― が、数年前に清涼飲料水のCMで使用されている)。ところで、こんな都市伝説を聴いたことがあるだろうか?―ある種の電波は“迷子”となり、完全には消えることなく山や谷を越えながらいつまでも地球を回りつづけ、数十年の時を経て、ある日突然ラジオの受信機に飛び込んでくる― 夜中に一人で車を走らせる時、ふとこの話を思い出しカーステレオのAMチューナーをスキャンしてみることがある。断続的なノイズの間に、彷徨える電波が運ぶ胸躍るあのフレーズが、微かに聞こえてくるような気がして‥‥‥Go Go Go & Goes on ! 糸居五郎のオールナイトニッポン! ‥‥‥
(OG)

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