Column
Our Roots

 31 January, 2016    Heroes /David Bowie
 
 OGは今までに多くのライブに足を運んできたが、その中でもトップ3に挙げられるのが、高1の冬に観たDavid Bowieの武道館でのライブだ。Bestといってもいいかもしれない。“Ziggy Stardust”の煌びやかなメイクと衣装から約5年、変容を続けるBowieは実験的なサウンドテイストをもつアルバム“Station to Station”を制作、活動の拠点をアメリカから再びヨーロッパへと移す。アンビエントミュージック(環境音楽)の先駆者Brian Enoと組み、“Low”と名盤“Heroes”を東西冷戦下のベルリンで録音、発表後の、装飾が削ぎ落された最もクールでソリッドな時期のコンサートツアーだ。
 
 
 ‘78年のそのツアーは、エフェクターを駆使した唯一無二のサウンドで時代の先端をいくギタリスト、Adrian Belewが参加していることでも話題になっていた。当時、外タレの武道館ライブには通例S〜Cの座席があり、高校生のOGが選ぶのは決まってステージ真横2階の上段、C席だった。C席を選ぶのには安価であることの他にもう一つ別の理由があった。今と違いその頃は館内の警備が緩く、一旦照明が落とされ演奏が始まってしまえば、前方通路や空席に移動することが可能だったので、その日も2階前方のステージに近い位置でライブを楽しむことができた。
 
 流されている音楽が止み、会場が暗転し、湧き上がる拍手と歓声の中、アーティストが登場するという通常のオープニングスタイルではなく、ステージと客席の明りが残る中ライブは突然始まった。同時期のツアーを記録したライブアルバム“Stage”で聴けるように、その演奏は観客を煽り興奮を掻き立てる典型的なRock showではなかった。白色光のストライプの照明を背景に、色彩を抑えたステージでは、“Jiggy stardust”や“Hang on to yourself”といったJiggy時代の曲も演奏されたが、それは時の変遷を観客に意識させるためのようにも思われた。演奏にはギタリストMick Ronsonとともに創り上げた熱狂ではなく、遠い昔の出来事を見つめるかのような冷静さが感じられた。前述の三枚のアルバムからの曲が中心となり、鎮魂の鐘の音のような重々しさと、物悲しくも美しい旋律が印象的な“Warszawa(ワルシャワの幻想)”や、嵐とともに近づいてくる目に見えぬ巨人の足音を連想させる“Sense of doubt”など、人間の内面や精神性に訴えかけるようなインストルメンタルも演奏された。前衛的な色合いを持ち、今までにない何かで感情と理性を揺さぶるという点で芸術性が高く、抑制とエッジの効きが両立した演奏は完成されていた。規模は比較にならないとしても、そこにはかつての公民権運動やベトナム反戦のプロテストソング、フラワームーブメントのような、時代や社会を映し出し、先陣に立って切り啓いていこうとするロックの姿が感じられ、そのことがこのライブが深く印象に残っている理由の一つなのだと思う。
 もう一つの大きな理由は、Bowieがアンコールに二度応えたことだ。SNS全盛の現代では公演の内容は、即座に知れ渡る。いつでもアーティストの情報が手に入り、大画面TVで映像が楽しめ、ファンには飢餓感が薄い。一度アンコールが終われば、多くが二度目を要求することも無く我先にと家路を急ぐ。時には二度のアンコールが元からショウに組み込まれていて、アーティストが熱意を演出したりもする。そんな時は既に情報が行き渡っているので、一度目のアンコールが終わった後も席を立つ者はいないが、予定調和にサプライズはなく真の感動は生まれない。インターネット以前のオーディエンスは、誰もが微かな期待を胸に二度目を本気で要求していた。ほとんどのライブでその願いが叶うことは無かったが、この日、我々の求めに応じ、航海士のような爽やかな白い衣装をまとったBowieは、再々度ステージに姿を現し、聴き知ったフレーズとともに二回目のアンコールが始まった。“Rebel rebel”だった。夢かと思った。それはJiggyと同時期のアルバム“Diamond dogs”からのロックナンバーで、生で最も聴きたかった曲だったのだが、新しい曲中心の今回のライブの構成にはそぐわず、演奏されないまま一度目のアンコールも終了し、やはり演らなかったか…と諦め残念に思っていた矢先だった。煌めくようなギターのリフにのって、この日初めてBowieが弾(はじ)け観客も弾けた。手を頭上で打ち鳴らし、ステージを端から端まで動きながら客席を煽る、スポットライトを浴びて輝くBowieのこぼれるような笑顔を、OGは間近で観た。それはライブのコンセプトを理解し、ともに特別な時間と空間を創り上げてきたオーディエンスへの感謝の表れでもあるように感じられた。
 
 
 その後も“Serious moonlight tour”“Glass spider tour”と Bowieの大規模なライブツアーを観てきた。それはそれで十分楽しめるパフォーマンスではあったが、あの日、武道館で体験した魔法のような瞬間を味わえることはなかった。それはBowieが商業的な成功と引き換えに、手放してしまったものなのかもしれないし、OG自身が大人になる過程で失くしてしまったものなのかもしれない。アルバム“Heroes”はOG中三の秋にリリースされた。Bowieが不思議なポーズをとるモノクロのジャケットは最高にカッコよかったし、撮影したのが日本人(写真家、鋤田正義)でBowieが日本の文化に影響を受けたとされているのも嬉しかった。友人達とパントマイムのような手つきや、能面を思わせる表情をまねて“全然似てねー!”と笑い合ったのをおぼえている。俳優としても自らの世界を表現してきた“地球に落ちてきた男”David Bowieは、驚きと興奮、選ばれし「美しき者」だけがもたらすことのできる喜びと感動で我々を刺激し、多くのミュージシャン達に影響を与え続けた。老いさらばえることもなく、移りゆく万華鏡の輝きのごとき人生を置き土産に、天空のラビリンスへと旅立ってしまったが、彼の遺したStardustの一つ一つが、おそらくこれからも、アーティストにとっての創造の道標(みちしるべ)であり続けることは想像に難くない。
(OG)


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