Column
Our Roots

 11 February, 2015    Running on empty / Jackson Browne
 
 2月1日、今年もホームタウンのマラソンレースを走った。 
 それまではマラソンレースなど全く興味がなく、原色ウエアで着飾った脳天気な健康志向のランナーが集う自己満足イベントと勝手に決めつけ、どちらかと言うと嫌悪感を抱いていた。そのとんでもない偏見がなくなり、レースにエントリーするきっかけとなったのは、2011年の震災だった。
 
 テーマパークを取り囲む海沿いの椰子並木の周回道路をメインに走るシティマラソン、2011年まではハーフマラソンがメインで全国から多くの市民ランナーが参加していた。開会式では鼠や家鴨達がテーマパークから応援に駆けつけ、華やかで人気の大会だった。ところが、2011年の震災による液状化被害でコースの一部は波打ち、寸断された下水道の応急処置や長期化が予定される地盤改良工事など、2012年の大会開催は不可能と考えられていた。 ところが2011年秋、震災の被害の傷は癒えず未だ暗く沈んでいた街に、翌年2月のシティマラソン開催がアナウンスされたのだ。
 
「甚大災害の指定を受け、多くの被災者の方々を思うと、当初、当実行委員会でも第21回大会は中止すべきだという声もありましたが、・・・・(当大会を通じて)復興に取り組んでいく姿を市内外に発信するシンボル大会となるよう、実施を決定いたしました。」
(大会実行委員長)
 
 10Kmに短縮された「復興へのシンボルとなる大会」は、著しく傷ついた街のイメージにより市外からのランナー参加が減少する事が心配された。そんな中、2012年のレースは「市民として協力しなければならない」という市民意識(Civil Consciousness)のようなものが芽生え、参加を決意したのだった。
 
 
 毎年参加しているこのマラソンレースの時期を過ぎると、休日の晴れた日に音楽を聴きながらのんびり海岸線を走るいつものペースに戻っていく。海に面した公園から見晴らしの良い橋を渡り、Steel Townを通り抜け、川沿いの遊歩道を下り、テーマパーク海側の周回道路を半周して埋め立ての住宅に戻るのが休日のジョギング定番コースだ。時間に追われる生活から解き放たれ、体中に自由な空気が満ち溢れていく。
 音楽をゆっくり味わうのも走る目的のひとつである。新着のCDをフルアルバムじっくり通しで聴くのは、大抵はジョギングしている時だ。最近ジョギング中によく聴いているのは、昨年6年振りにリリースされたJackson Browne のアルバム “Standing in the Breach”。彼の声とギターサウンドは穏やかで暖かく、海岸線の明るい日差しにとてもフィットする。休日にゆっくりしたペースで走るにはちょうといいテイストだ。(ジャケットとポリティカルな歌詞は正反対にハード)
 MGにとってJackson Browne は社会人となってから一定期間興味を失ってしまったアーティストのひとりだったが、2008年の"Solo Acoustic Vol.2" を聴いてその稀有な存在を再認識した。それは、アコースティックギターを1人弾きながら、歌に対して誠実に丁寧に気持ちをしまい込んでいく、飾らない真摯な姿勢が心打たれるライブアルバムだった。自分がジョギングを始めたのもこの2008年、"Solo Acoustic Vol.2" も走りながらよく聴いていたアルバムだ。
 
 "Running on empty"、結局は78年のこの曲が 走る場面に最もフィットする。Rosemary Butler が見事なハーモニーをつけるサビは " Long Distance Runnerの孤独"に相応しい。イントロは疾走感が溢れ、後半のJackson Browneのスライドギターと化け物 David Lindleyの唸るスティールギターとの掛け合いを聴くと、アドレナリン分泌が促進され、自然と走るペースがアップする。実際この曲は、歌詞に "rushing under my wheels"と表現されており、Vehicle での Run を歌っていると思われるのだが、映画 Forrest Gump の中で Forrestが走り出す場面にこの曲が使用されているように、自らの足で走るRunningが強く想起される。いや、そもそもこの曲は「人生を駆け抜ける」歌なのだ。
 
 Running on, running on empty
 Running on, running blind
 Running on, running into the sun
 But I'm running behind
 
 
 2015年の大会においても震災復旧工事の継続によりハーフマラソンは実施できず、相変わらず鼠や家鴨達も現れなかったが、すいぶん明るさを取り戻していた。完全復興も徐々に近づいているのかも知れない。
 完走した後、目標タイムをクリアした満足感と「もう少し走れた」ような不完全燃焼感とが同居し、「更にチャレンジしなければならない」気持ちが高まった。
 しかし更にこれ以上のチャレンジできるのだろうか?
 いったい、いつまで走り続けるのか?
 走る事の本当の意味は何なのだろうか?
Jackson Browne はこう歌っている。
 
 I don't know where I'm running now, I'm just running on...
 
(MG)
 




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