Column
Our Roots

 31 January, 2015    All the way from Memphis / Ian Hunter
 
 昨年の夏MGからのメールでもたらされた“臨時ニュース”は、OGにとってまさに青天の霹靂とでもいうべきものだった。―題名:臨時ニュースです!;本文:うれしいサプライズです。ついにIan Hunter来日!― 
 
 
 Ian Hunterは以前このコラムで取り上げたロックバンドMott the Hoopleの中心人物で、若き日のOGがStonesと並び、ノリとgroove、Rock`n`rollの曲作りの面で最も強い影響を受けたボーカル、ギター&ピアノプレイヤーである。グラムロック隆盛時に、イギリスで一時代を画したにもかかわらず(1974年のアメリカツアーの前座はQueenだった!) 日本では不思議なほどメディアに取り上げられることが少なく、来日する有名無名のあまたのミュージシャンの中に、彼の名前が報じられることはついぞなかった。情報過多の現在でさえ、表舞台に登場するような新情報は無きに等しい状態が20年近くも続いていて、いつしかHunterはOGの日々の生活からも忘れ去られつつあった。そうした折の来日は、例えるなら“話には聞いているし写真では知っているが、一度も会ったことがない長年音信不通の、外国で暮らす年の離れた異母兄弟の兄貴が、突然日本にやってくる”といった感じの衝撃があった。彼の存在と音楽は、OGの成長とは血縁ともいえるほど、切っても切れない関係にあるのだ。
 
 
 1月17日。かつてMottの魔力に魅了され、その存在自体が伝説になりかけているHunterを、自分の目で確かめておきたいという想いを抱いた人たちで、下北沢GARDENは静かな興奮と熱気に包まれていた。教室を一回り大きくした程度の、キャパシティ300人前後のライブハウスは、開演時間が迫る頃にはスタンディングの客で満員になっていた、MGが手に入れた久々のニューアルバムを聴く限りでは、Hunterの歌声に陰りはみられなかったし、楽曲の完成度も高く、円熟というよりは、ソロになってからリリースされた何枚かのアルバムと基本路線は変わらないという印象で、それが今回のライブに対する期待にもつながってもいた。というのもビルボード東京などでの往年の人気アーティストたちの来日公演は、ある程度予想はできたものの、やはり“熱”を失った過去の人であることを認識させられるような場合が多く、多くの観客がこれから現れるRock Legendに対しても胸の高鳴りと同時に、心のどこかにそうした懸念を抱えながら、開演の時を待っていたように思える。
 
予定時刻を過ぎ、待ちわびたオーディエンスの手拍子が断続的に湧き起こる中、会場の灯りが落とされ、Mottから数えて数十年、幻だった伝説のRock`n`roll showはその幕をあけた。まずはサポートバンドThe Rant Bandのメンバーが一人ずつステージに上がる。ドラムスがパワフルにリズムを刻み始め、タイトでヘビーなベース、キーボード絡んでゆく。甘く、鋭く歪んだ2本のギターがリフを重ねグルーヴを醸し出す。そしてバンドがアイドリング終えすべての準備が整った時、舞台右袖から昔からのトレードマークである、黒いサングラス、肩まで伸びたカーリーヘアーそのままの、紛れもないIan Hunterその人がステージ中央へと現れた!
 
 Hunterがミディアムテンポの一曲目を歌い終え、アコースティックギターを手にした2曲目、ブルースハープも加えた3曲目と進むにつれ、心の片隅にあった一抹の不安は完全に消え去り、期待は確信へと変わっていった。Hunterはバリバリの現役であり、今を生きる現在進行形のミュージシャンであった。ボブ・ディランにけれん味を効かせたような歌声は以前と変わりなく、声もよく出ていた。髪の色こそ年相応にブロンドからプラチナホワイトへと変化していたが、太ることもなくRockな体型を維持していた。バンドの演奏はタイトで迫力と一体感があった。曲ごとに細かいアレンジが施され、単なる寄せ集めのバックバンドにはない安定感と本気度が感じられ、なによりそこには“熱”があった。特にギターのMark Boschの存在感あふれるプレイには艶があり、聴く者を惹きつける力があった。
 ソロアルバムからの曲がつづき、ライブアルバム“Welcome to the club”にも収められている、弾むようなピアノのリフが印象的な“Just another night”のコール&レスポンスに客席は一段と盛り上がる。ライブは中盤へとさしかかりHunter自らピアノを奏でる最新アルバムからのロックバラード“Black tears”へとつづくが、そのエンディングの余韻を突き破るように突然始まる、疾走する列車の車輪の軋みを思わせる金属的な響きの鍵盤連打のイントロ!Mott the Hoopleの代表曲“All the way from Memphis”にオーディエンスのヴォルテージは一気に頂点に向かう。歌詞の一部であり、公演のチケットにも記された“It’s a mighty long way down Rock’n’roll(とてつもなく長いロックンロール道のりだぜ)”の一節は、まさに今回実現した奇跡のような東京ツアーに対する、ファンのそしてHunter自身の想いが凝縮したフレーズのように聞こえた。観客のリクエストに答えた“I wish I was your mother”を含め、最後をMott時代のLou Reedのカバー“Sweet Jane”で締めたHunterは、鳴りやまぬ観客の熱い拍手と声援に答え、かつての盟友、ピアノのMorgan Fisherをステージに迎え、Mottの代表曲“Roll away the stone”と“All the young dudes”をアンコールで披露し、2時間に及ぶ、数十年という時空を超えたエンターテイメント、Rock’n’rollサーカスの幕は閉じた。
 
 
 夢のような時間の後で、Hunterの年齢をあらためて聞いて驚いた。彼は75歳だった。ステージ上のエネルギッシュな姿からは想像もつかない。演奏中2度ほど何かの錠剤を口にしたり、アンコール前に冗談っぽくギターを握る腕のコリをほぐすようなそぶりを見せたりはしたけれども、そのパフォーマンスは、後ろを振り返らず歩み続ける現役プレイヤーだけがもつ輝きを放っていた。“生きててよかった”ライブ終了直後のMGの一言が、すべてを凝縮していた。Hunterの音楽に対する真摯な姿勢は我々に大きなエネルギーを与えてくれたし、レコードやCDだけで構築されていたIan Hunterという偶像に、長い年月を経てやっと命が吹きこまれ、慣れ親しんだ楽曲にも新たな光が投げかけられた。そしてこの言葉はダブルミーニングでもある。往年のロックスターの訃報を耳にすることが多い昨今(昨年の暮れにはJoe Cockerの訃報が届いた)我々に音楽の偉大な力、生きることの価値を実感させてくれたHunterが、生きて日本の地を踏みライブを行ってくれたことに、OGは心からよかったと思えるし、感謝の気持ちを覚えるのだ。
(OG)
 




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