Column
Our Roots


 31 December,2013    Fools Gold / Graham Parker & The Rumour
 
 2013年、70年代Pub Rockの大物4人が日本にやってきた。
まずは1月、末期膵臓がんである事を発表したばかりの Wilko Johnson がRED SHOES(南青山)と磔(京都)にやってきた。余命10か月のFarewell Tourと言われていたが、7月のFuji Rockで再びパワフルなステージを魅せてくれたという。Billboard Live東京では、9月Graham Parker、10月はPub Rockの立役者 Nick Loweのライブを開催。12月EX シアター六本木・ZEEPなんばでは、Pub Rock 出身最大の成功者、Elvis Costello が "Spinning Wheel Songbook" の熱いライブを観せてくれた。
 
  そもそもPub Rockとは何なのか?
Pub Rockにカテゴライズされたアーティストのサウンドは様々である。Brinsley Schwarz のような英国田舎派ロック、Dr.FeelgoodのようなPunk前夜ビートバンド、Ian DuryのようなFunk・Reggae・Jazzの混合Rockなど。それは音楽のスタイルやサウンドではなく、70年代UKロックの原点回帰のムーブメントだったように思う。
 60年代終盤から70年代前半のBritish Rockの主流は、巨大化したロックショーが人気となっていた。演奏技術、舞台技術、電子技術を駆使した技術オリエンティドの音楽が主流となり、ステージと観客の間に手の届かない距離が広がり、虚構のスーパースター達が活躍していた。Hard Rock やProgressive Rock, Bubblegum Pop の時代だ。
 だがその一方で、手の届くところでビール片手に自然にロックを楽しめる場所も必要とされていた。そんな中、イギリスの伝統的なPubが、70年代巨大化したロックショーでは満たされない観客と60年代のロックを浴びて育ったピュアなロッカー達が出会う場所となった。
「ステージはあってもちょっと高くなった台ていどで、多くはパブの一角の椅子やテーブルを片付けただけに過ぎぬ。物理的にも精神的にも演奏者とその客の間の『障壁』」がない。(中略)パブでの演奏者と客の間には本物の親近感があるのである。大声でリクエストを叫び、ジョークや軽口が飛び交い、ビールをおごり、演奏ミスは聞き流してもらえる。」※注1
Islingtonにある”Hope & Anchor”の地下室などでは、熱狂的なライブが繰り広げられるようになり、Pub Rock の拠点となっていった。そして1976年あのStiff Recordsが創設され、Pub Rocker の本格的なプロモーションが始まった。
「パブ・ロックっていうのは、かつてこの街にあったものを再び生き返らせようとする活動だったんだ。デイヴ・ロビンソンとニック・ロウはロンドン中を歩き回ることで、みんな、そうした動きに感化されていったんだ。でも、ただパブに現れて、演奏すりゃいいってものじゃなかったんだぜ。そこには必ずセオリーが必要だったのさ!かつてストーンズやフーをグレイトにした、あのセオリーがね。」(デイ・デービス談)※注2
 
 MGとPub Rockの出会いは、1978年、Graham Parker & The Rumor のNHKヤングミュージックショーで放映されたスタジオライブだった。爬虫類風の Graham Parker と英国チンピラ風の Rumor の直球勝負の盛り上がりに得体の知れないエネルギーを感じた。(この時イレブンPMにも出演する程の話題になっていたが、それを観た記憶はない。)感化されやすい高校1年生は、その後すぐにこの年リリースされた2枚組ライブアルバム、”The Parkerilla”(邦題:ロックモンスター)を買いに行ったのだった。メディアで常に比較されていたElvis Costello も2ndアルバム"This Year's Model "で日本デビューしてこの年に来日したが、当時MG の心を圧倒的に捉えたのは Graham Parker の方だった。(Costello もよく聴いていたが) 今聴き直してみると、Brinsley Schwarz と Ducks Delux の主力メンバーからなるPub Rock スーパーグループと言われた The Rumorと、Graham Parker のアグレッシブと泥臭くさの相乗効果に惹かれたように思う。”Fools Gold”の息のあった演奏は、グルーヴに乗って溢れるバンドの生命力が瑞々しく、今でも大好きだ。 Graham Parker の癖のあるボーカルは万人受けするとは言い難いが、一度ハマると病みつきになり、噛めば噛むほど味がでるスルメのように止められなくなるのだ。
 
 Pub Rockのムーブメントは、Punk, New Waveと一体となって70年代 UKロックシーンでは暫く注目されたが、それほど長くは続かなかった。Stiff Records は1986年に破産、Graham Parker は Rumorと別れた後もギタリスト Brinsley Schwarz と1990年まで活動を続けた。Elvis Costelloは大物ミュージシャンとのジョイントや映画のテーマソングで成功し、2003年 Elvis Costello & the Attractions 名義でロック殿堂入りを果たしたが、Graham Parkerは1992年を最後にメジャーレーベルとの契約を終了、その後はインディズでの地道な活動を続けている。時にはギター1本でツアーをやり、”Live alone in America”, ”Live Alone! Discovering Japan”といった味のあるアルバムをリリースしている。
 
 2012年、突然Graham Parker & The Rumor の再結成とニューアルバム ” Three Chords Good”の便りが届いた。派手さはないが、息の合ったかつての仲間との演奏は味わい深く、何より70年代の彼らの雰囲気が失われていないのが嬉しかった。その後、彼らはUSAツアーを開始した。
 2013年 Graham Parkerの 来日が発表され、Rumor とのステージが期待されたが、彼はBillboard 東京にたった1人で現れた。2014年も Rumor との欧州ツアーが予定されているので、一緒に来れないのは予算の問題だったのだろうか?MGの観た9月14日のステージも観客の入りはもうひとつだった気がする。 初めて観るGraham Parker、味のあるボーカルは健在だった。多くのPub Rockerがその後挑戦してきた生ギターストロークのグルーヴによるロックナンバーでひとり観客に向き合うスタイルは、彼が最初に始めたのだろうか? 念願のGraham Parkerのステージだったが、当日のBillboard Live東京は何かよそよそしい雰囲気があり、Rumor と一緒に来れなかった彼はとても孤独に見えた。それはもしかすると、ステージ前のディナーテーブル席などBilbord Live東京の空間は、Pubとは全く異なりステージと観客を遠く隔てていたからかもしれない。
 
 2013年12月Elvis Costello は The Imposters を連れてやってきた。12月14 日、今年最後のライブとして観た3時間のライブは、Costelloのアーティストとしての勢いを感じた。彼は途中スタンディングのファンの中に入っていき、"She","God Give Me Strength"を歌いながらアリーナをかき分け1周、まさしくステージと客席の垣根が無くなった。Pub Rock のライブは、そこにいる人達皆で作り上げて成立するのだろう。 Graham Parker も前回1993年来日の渋谷クラブクアトロのような箱で観客とコミュニケートできれば、Pub Rock の真髄を感じる事ができただろうか?
 メジャーな成功から見放されても、不器用に頑なに自分を表現し続けているGraham Parker 。今回の来日は不完全燃焼だったかもしれない。しかし、どんな境遇になってもガッツあるスタンスでぶれない彼を、今後も応援して行きたい。
 
 
 イギリスのPubは、今でもアーティストを育て続けている。今年デビューアルバムをリリースした若手ビートバンド、The Stripes や Palma Violetsも Pub のライブで注目されてきた。Pub Rock というカテゴリーは聞かれなくなったが、Rockの拠点としてのPub はイギリスの文化に根付き、若いアーティスの夢をいつも受け止めてくれている。
 いい音楽はどこにでも存在している。スタジアムにもPub にも。ストリートや友人宅にも。きっと、まだまだ知らない場所で素晴らしい音楽が奏でられているはずだ。
2014年も素敵な音楽との出逢いを楽しみにしている。
(MG)
 
注1)「イギリスPubウォッチング」(Pubwatching with Desmond Morris 1993) Desmond Morris, Kate Fox 林望訳 1995年 平凡社
注2)「Pub Rock 革命」(The great pub rock revolution No sleep till canvey island 2001 )Will Brich 中島英述訳 2001年 シンコーミュージック