Column
Our Roots

 11 July,2015     十番街の殺人 / ベンチャーズ
 
 夏になると聴きたくなるアーティストがいる。外気から隔離された空調の効いた部屋で、トムコリンズの背の高いグラスの、もしくはライムをしぼった冷えたコロナの瓶の表面に浮かぶ水滴を眺めながら、スパニッシュギターの名手パコ・デルシアの、鋭くも流麗で清涼感あふれる演奏を聴くのは、夏の午後の楽しみの一つだが、今回はそうした個人的な好みを超え、日本の夏に欠かせないある種“文化”にまで到達したかと思わせる、日本人が大好きな(おそらく彼らも日本のことが大好きな)サーフミュージックの雄、テケテケの王様、ベンチャーズがテーマである。
 
 前回OGが担当したコラムの中で、従兄弟と中二の時に行ったライブの話をしたが、生まれて初めて観に行ったライブは、中一の夏“ベンチャーズ15周年記念特別公演”である。中学生になってすぐ、ビートルズをきかっけにRockにのめり込み始めたOGには、インターネットもケーブルTVもBSやCSも無かった当時、既に解散してしまっていたビートルズはもちろん、洋楽チャートや雑誌に登場する多くの外タレの動向は、自分の日常生活とは全く別次元の話であり、本当にそのような人たちが存在するのか、確証さえも危ぶまれるような夢の世界の出来事であった。当時ベンチャーズは日本では十分人気があり、夏を前にラジオでは特集番組が組まれたり、“ダイヤモンド・ヘッド”“ウォーク・ドント・ラン”などのヒット曲が盛んにオンエアされていた。そんな折“世界的なミュージシャン”ベンチャーズが、我がお膝下、“文化会館”でリサイタルを行うらしいという話を耳にした。それはOGと海の向こうの“世界”が初めて繋がる機会が目の前に訪れたということであり、そうした状況にロックビギナーの少年が盛り上がらないわけがない。学生服を脱げば小学生と間違われそうな中一のガキんちょが一人で、まだ“不良の音楽”という偏見の残り香をまとっていた“ロック”を観に行くことなど許容の範囲外だということは分かっていたので、音楽に興味はないが、賑やかなことは大好きな親父を説き伏せて、同行してもらった。ライブは親父と同年配、テケテケ世代の大人の客が多い行儀のいい二部構成のコンサートだったが、初めての外タレ体験は十分満足のいくものだった。リードギターのノーキー・エドワーズが奏でるモズライトの伸びやかな音色が、今も印象に残っている。この後順調にロック体験を積み重ね成長したOGは2年半後、高校入学直前の春休み、ボブ・ディラン武道館初来日コンサート(MGのコラムでも取り上げられている)で、本当の意味で“世界”と繋がることとなる。
 
 結成56周年、今年もベンチャーズが日本にやってくる。69回目の来日で、オリジナルメンバーでリズムギターのドン・ウィルソン最後のツアー(高齢(81歳!)のため。)だそうだ。日本の蒸し暑い夏には、人のぬくもりを感じさせるボーカルよりも、グラスの氷の涼しげな響きに通じるギターサウンドが好まれるということなのかもしれない。ベンチャーズから一曲だけ選ぶとなれば、迷わず“十番街の殺人(Slaughter on 10th avenue)”を選ぶだろう。この曲はその物騒で殺伐としたタイトル(原曲は1936年初演のブロードウェイ・ミュージカルの挿入歌。ダンサーの色恋沙汰から殺人事件がおこる)に反して、明るさと楽観、もの悲しさが同居する不思議な感覚を聴く者に与えてくれる。それは波打ち寄せる砂浜で、青空に沸き立つ白い雲を見上げながら、若き夏の日に感じた“あの感覚”と相通じるものがある。音楽的には、彼らの他の代表曲と違って、この曲にはハモンドオルガンが曲全体を通してフィーチャーされていて、しかもプレイしているのは若かりし頃のレオン・ラッセルだ(このエピソードは、以前のOGのコラムでも紹介したことがある)。楽曲の良さからか、この曲はJimmy SmithやMick Ronsonによってもカバーされているが、ベンチャーズのクールなギターサウンドにオルガンの温かみが加わることで、彼らの“十番街の殺人”はOGのハートに沁みる、“無人島に島流しされるとしたら持っていきたい100曲”の中の一曲となっている。
 
(OG)
 
PS
(中学当時の雰囲気をお伝えしたく、有名アーティストや楽曲名はカタカナ書きにしてみました。)


| Prev | Index | Next |



| Home | Profile | Collection | Column | リンク集 |