Column
Our Roots


 30 Jun,2013    Wipe The Windows, Check The Oil, Dollar Gas / Allman Brothers Band
 
 今日で2013年の上半期も終わる。
この半年は何かと慌ただしかったので、バッテリーのチャージが必要に感じていた。それで6月最後の金曜夜に相応しいイベントを探し、前から気になっていたBillboard Live東京でのDickey Betts & Great Southernのステージを1週間前に予約したのだった。
 Dickey Bettsは、Allman Brothers Bandの創設メンバーで、Duan Allman亡き後バンドを牽引したが、解散・再結成後の2000年にGregg Allmanとの確執と酒癖?が原因でバンドを追い出され、その後どのような活動をしているか全く知らなかった。「もしかしたら黄昏てしまい、魂の抜け殻になっているかもしれない」そんな不安と期待が交錯した中、6/28仕事を早々に切り上げ六本木ミッドタウンに向かったのだった。
 
 Allman Brothers Band といえば、多くの人がDuan Allmanのスライドギターを連想するだろう。マッスルショールズのフェイム・スタジオのスタジオミュージシャンとしてWilson Pickettらのサザンソウルの大御所達と共演していたDuanの強烈な磁力が、Berr Oakley (bass )、Butch Trucks (drums 今を時めくDerek Trucksの叔父さん)、Johanny Johanson (drums)達とDickey Bettsを惹きつけ、弟のGregg Allman (vocals, organ)が加わって1968年Allman Brothers Bandの結成となった。71年のライブアルバム"At Fillmore East"のヒットでバンドが軌道に乗り始めるが、当時まだ25歳前だったDuan Allmanはハーレー・ダヴィッドソンでトラックに衝突し亡くなってしまう。その1年後、Duanを兄のように慕っていたBerr Oakley もほぼ同じ場所でのバイク事故により後を追って天国へ旅立つ。
 そんなバンド崩壊の危機を救ったのは、Dickey Bettsのリーダーシップだったと言われている。73年のアルバム"Brothers And Sisters"はビルボード全米アルバム・チャートNo.1となり、彼がボーカルをとった"Ramblin' Manはバンドの最大のシングルヒットとなった。
 
 MGが初めてAllman Brothers Bandを聴いたのは高校時代、ライブアルバム"Wipe The Windows, Check The Oil, Dollar Gas"(76年リリース 邦題はシンプルに「熱風」)だった。Duan Allmanの研ぎ澄まされたスライドギターが唸る歴史的名盤”At Fillmore East”ではなく、なぜこのアルバムを最初に買ったのか覚えていない。このアルバムの評価は恐らく一般にはそれほど高くないが、ブルースに加え牧歌的なカントリーテイストの味付けもあるこのライブは当時のMGのお気に入りだった。目立ったテクニックはないが、印象的なフレーズをたたみかけるDickey Bettsのギターも大好きだった。当時のOGのオリジナルでMGが勝手に長尺ギターソロを弾いていたのは、このアルバムのDickey Bettsの延々と終わらないギターソロの影響もあるかもしれない。
 
 期待と不安の中で望んだBillboard Live東京でのDickiey Betts のライブは予想の百倍素晴らしかった。69歳のサザンロッカーは、「黄昏れてる」どころか、ツインドラムをバックにトリプルギターの1人としてマーシャルを吠えるようにドライブさせ、Allman Brothers Bandの代表曲を「俺が本家だ!」と言わんばかりに力強く演奏した。Billboard Liveの小さなホールがスケールの大きなサザンロックサウンドに埋め尽くされ、そのエネルギーは全身に充満した。
これで2013年下半期も乗り切れるような気がしてきた。
 
(MG)