Column
Our Roots

 24 September, 2017     勝手にしやがれ / 沢田研二
 
 今夏の関東の天候不良は、8月の連続降水日数としては40年ぶりの記録ということだが、その40年前の長雨のことをOGはよく覚えている。中三の夏休みに入り間もなく、所属していたサッカー部は最後の大会も予選リーグで早々の敗退。本来なら受験学年でもあり、すぐさま勉強モードへの切り替えが必要なところだが、“気合いとは入るものであって入れるものではない”とはよく言ったもの、全くやる気が起こらない。8月に入り雨が降り始め、じとじとと湿った天気が続く。物事にはきっかけが必要だ。OGは思う。“この雨が止み、青空がのぞいたら勉強を始めよう。そこからが受験勉強のスタートだ。”ところがいつまでたっても太陽は姿を現さない。8月6日に降り始めた雨と曇天は22日間続き、結局OGはほとんど何もせぬまま夏休みを終えることとなる。
 
 ウダウダと過ごした1977年の8月に、TVやラジオで毎日のようにオンエアされていたのが、その年のレコード大賞受賞曲で、ちょうどその時期オリコンチャートでトップだった、ジュリーこと沢田研二の“勝手にしやがれ”であった。実をいうとOGは今現在“勝手にしやがれ”を週に2回は歌う。この曲の低音部分がOGの低音の音域とマッチしていて、喉のウォームアップとトレーニングに最適なのだ。コード進行とメロディーがストーンズの“Under my thumb”に似ていて、ギターのコードストロークにはまるということもある。
 
 
 80年代の中頃まで、沢田研二は日本のビジュアル系ロックを牽引していたと言っても過言ではない。今でこそ日本のロックシーンは百花繚乱、あらゆるタイプのバンドが存在するが、洋楽におけるDavid Bowieのように、その華やかさと美しさ妖しさでファンを魅了するシンガーの先駆けは、日本では沢田研二以外に見当たらない。
 沢田は時代の先端を行く人気アイドルであったため、楽曲、アレンジともに完成度が高い。洋楽の流行を取り入れ、バックのミュージシャンも一流だ。彼の最初の歌謡大賞受賞曲“危険なふたり”の前奏は、Elton Johnの“Crocodile rock”を彷彿させる。大学生の従兄弟がパチンコの景品としてとってきたシングル盤の中に、沢田の“魅せられた夜”“恋は邪魔もの”などがあって、いずれもOGのフェイバリットとなった。その他にもOGの好きなジュリーの曲を時系列順に挙げていくと、タイガース時代の“廃墟の鳩”に始まり、“君をのせて”“あなたへの愛”、フランス語バージョンも発売された“巴里にひとり”、“憎みきれないろくでなし”、バブルを体現するかのような、パラシュートがついた電飾の衣装で話題となった“TOKIO”、Street Walker時代に我々がライブでカバーした“おまえがパラダイス”、“渚のラブレター”、ニューロマンティック風のエッジの効いたギターが魅力のロックナンバー“ストリッパー“、シングルカットはされなかったが、井上陽水、全曲書き下ろしのアルバム“MIS CAST”に収められている“ジャストフィット”、“晴れのちBLUE BOY”等々、この他にも“許されない愛”“あなたへの愛”“白い部屋”“追憶”“時の過ぎゆくままに”など曲数だけでみていくと、OGは並のロックバンドよりジュリーのほうがはるかに好きということになる。
 ジュリー主演の映画も心に残っている。1979年公開の“太陽を盗んだ男”は、その年のキネマ旬報読者選定邦画第1位、2009年のオールタイム日本映画ベスト200でも7位に選ばれた長谷川和彦監督の名作だが、その中でジュリー演じる中学校の理科教師は、原発から盗んだプルトニウムでハンドメイドの原爆を作り政府を脅迫、様々な要求を突き付ける。その要求の一つが、当時麻薬の前科で入国禁止だったRolling Stonesの日本国内でのコンサート開催だったことと、エンターテイメントとしての映画の中で、被爆国日本での個人による核テロの可能性を、初めて真っ向から取り上げたことに感性を揺さぶられたのを、今も印象深く覚えている。その後ストーンズが合法的に何度も来日公演を行っているのを考えると、時代は変わったものだと思う。
 
 人は今までに食べたおいしい料理や変わった食べ物は憶えていても、毎日食べる白米ついてはほとんど特別な記憶はないものだと思う。ブラウン管やラジオで日々目にし、耳にしていたジュリーの姿や音楽は、白米のご飯のようなもので、意識せぬまま成長期に身体の中へと取り込まれ、OGの肉体と精神の一部へと昇華されていったのかもしれない。40年前へと時間を遡りそのようなことを考えさせてくれた、この夏の長雨であった。
 
(OG)