Column
Our Roots

 30 November,2014    ゴジラ / 伊福部昭
 
 音楽ではカバーがオリジナル同様の、あるいはそれ以上の輝きを放つのも珍しいことではないが、映画においては稀である。名画に新しい何かを付け加えようとすれば、オリジナルの持つ完璧なバランスは崩れ、多くの人々を魅了した魔法は跡形もなく消え去ってしまう。元の作品のすばらしさを知る者からは酷評され、新たなファンを獲得することもない。名作には名曲もつきものである。その曲を聴けば映画のシーンが甦り、映画を思い起こす時、同時に頭の中にはサウンドトラックのメロディーが流れる。時にはサウンドトラックが、映像のパワーを内包したまま独立した楽曲としても、人々の心を揺さぶる存在となることもある。特撮映画の世界的な金字塔“ゴジラ”と日本を代表する作曲家、伊福部昭(いふくべあきら)の強力タッグは、その代表例の一つである。
 
 今年はゴジラ誕生から60年、伊福部昭の生誕100年にあたり、夏にはハリウッド版の新たな“Godzilla”が公開され、ゴジラの映像を見られる伊福部のメモリアルコンサートも、各地で催された。OGが音楽を聴くとき、Rock、Jazz、R&B、Classical、などとジャンル分けの意識はない。良い曲かどうかが唯一の基準だ。OGが惹かれる音楽の一つに、“うねるようなノリとGroove”を持った曲というのがある。巨大な心臓の鼓動のような低音ストリングス四つ打ちの力強いリズムにのって、ドシラの畳みかけから管楽器を加え変拍子へと展開していくゴジラのメインテーマのリフは、他で味わうことのできない独特のうねりとノリがあり、聴く者をある種トランス状態へと誘う力が癖になる。“芸術は民族の特殊性を通過して、共通の人間性に到達しなければならない”という伊福部の生涯かわらぬ信念は、日本の大地に根差してなお且つ普遍性を持つ伊福部作品を作り出してゆく。自衛隊が怪獣に立ち向かっていくシーンに流れる、短調で書かれマーチでありながら気高さと悲壮感をも感じさせる“怪獣大戦争マーチ”は、愛する者と国土を守るため、強大な敵に対して死を覚悟し戦場へ向かった人々を想起させ、日本人の琴線に触れる。ゴジラの第一作が公開されたのは1954年であり、第二次大戦後わずか9年目のことなのだ。
 
 ビキニ環礁の水爆実験で第五福竜丸が被爆した年に製作公開された、ゴジラオリジナル版の根底には、“核に対する警鐘“というテーマが貫かれていて、それがゴジラを特撮映画の枠を超えた、特別な作品へと押し上げている。北海道に生まれ、アイヌのプリミティブな音楽と踊りに触れて成長した伊福部は、林務官として働き北大で研究していた経験を買われ、大戦中、戦時研究員として航空機用木材の強化実験でX線撮影を繰り返していたが、終戦の二日後、その放射線が原因で突如血を吐き倒れる。ゴジラの楽曲には、人を幸せにするはずであった科学の限界と幻滅を、身をもって感じた伊福部の想いも込められているのだ。核実験によって眠りをさまされ、放射能を吐くようになったゴジラもまた核の被害者だ。
 
 その後ゴジラはラドン、モスラ、キングギドラなどの仲間(敵か?)を得て、娯楽作品の色彩を強め、子供たちのヒーローとなっていく(OGも幼稚園生〜小学生の時には、何本ものゴジラ映画のお世話になった)。それはそれで純粋に楽しめる映画だ。ゴジラにはメインテーマの他に、ゴジラが姿を現し街を破壊し始める時に流れる、超重低音で重厚なテンポの、地響きとともに、ゆっくり近づいてくるサウンドエフェクトの役割も同時に果たすかのような、もう一つの有名な主題曲がある。
3.11の震災から1週間、関東では人々が、日々の暮らしを取り戻すべく日常の業務を再開し始めていたが、不気味な余震は続き、電力不足による計画停電も始まっていた。職場から夜半近く、車で帰宅する海岸の工業地帯沿いの国道は、街灯と工場の明かりがすべて消され、ガソリンの供給が途絶えたため、中央分離帯に仕切られた片道二車線の直線道路に車の影は無く、自分の車のヘッドライトだけが、広がる闇の肌寒く粗い粒子を照らす唯一の明りだった。炎上した石油タンクは、暗闇に佇むいくつかの工場プラントの向こうで、まだ燻りつづけていたし、ラジオは制御不能に陥りかけている福島原発の、解決の道筋が見えない一進一退の状況を伝えていた。チェルノブイリのような最悪のシナリオを否定しようと政治家は躍起になっていたが、我々の街が人の住めない死の街となる可能性を、完全に否定できる者は誰もいなかった。車を走らせながらOGはその時、斜め前方の工場との緩衝地帯の青暗い夜空に黒々とそびえ連なる高圧電線の鉄塔のむこうに、さらに深く巨大な影を見た。重低音の主題曲とともに、すべてを放射能で焼き尽くし破壊しようとする、タールのような漆黒のシルエットを!1954年当時ゴジラを映画館で観た人々も同じような、再び迫る核戦争や大量破壊の不吉な影を、スクリーン上のゴジラと重ね合わせて見ていたに違いない。そういった深刻な社会状況が、人の心を動かす芸術作品を生み出す原動力になるのは皮肉なことだが、だからこそ現実に対し警鐘を鳴らし、人の心を動かす芸術の力は人間社会にとって不可欠なものだと言えるのであろう。ゴジラと伊福部昭の楽曲は、怪獣映画に夢中になった少年時代の思い出とともに、大人になったOGにそういったことも考えさせてくれる、まさにタイムレスな作品なのだ。
 
(OG)