それではOGの好みによる三大“ロックンロール”ギタリストということになると、もう一人、鮎川誠を外すわけにはいかない。言わずと知れたSheena & the Rokketsのギタリストだが、個人的にはSheena抜きのRokketsにキーボードを加えた、鮎川自身がボーカルをとる“Kool solo”と呼ばれる一連のライブが好きだ。黒いレスポールを抱えた長身にサングラスの鮎川のステージでのたたずまいは、世界でも指折りのカッコよさだ。OGは大学時代に二度このライブを観ている。一度目は満員すし詰め状態の新宿ルイード。シンプルかつflexibleな弾力性も感じさせる川嶋&浅田のリズム隊に、オーバードライブする鮎川のギターがRokkets特有のうねりを生み出してゆく。旋律の輪郭線よりも歪んだ音の粒子で空間を埋め、厚みと突き抜ける倍音の広がりを感じさせるギターサウンドは、ポロックのアクションペインティングを彷彿させる。ライブハウス独特の、観客の熱気とバンドの叩き出すビートとの脈打つような一体感。二回目はMGの母校、法政大学の学園祭での野外ライブ。片手にビール、見上げる星空に時に金属的な輝きを放つ鮎川のギターの爆音が響き渡り吸い込まれてゆく解放感。どちらも最高のgigだった。
KeithにもRonnieにもいえることだが、ギタリストの歌は魅力的だ。ボーカルテクニックにこだわらない分、人間性がよりダイレクトに伝わってくるように思える。鮎川の九州弁(細かな分類では筑後弁)の副鼻腔に共鳴するような独特の語り口と歌い方は、まさにone&onlyで他に類をみない。鮎川が在籍しためんたいロックの雄、Sonhouseの“ビールスカプセル”や“爆弾(ぶちこわせ)”のあからさまで生々しい歌詞や歌も、鮎川の声を通すと生臭さが消え、ロックンロールへと昇華する。これは鮎川のDNAに元々アメリカンミュージックが組み込まれていることも無関係ではあるまい。彼がハーフで、会ったことのない父親はアメリカ人だという話を知ったのはずいぶん後になってからだが、鮎川誠というギタリストが醸し出す国籍不明感とその不思議な魅力の秘密が少しは理解できた気がしたのを覚えている。
“Dead guitar”はアルバムとしての“Kool solo”にも収録されている王道のロックンロールナンバーだ。当時の映像を見るとこの曲だけはブラウンサンバーストのストラト系のギターで演奏しているが、ピックアップやボディの形状がストラトとは異なっていて、それが何というギターなのかはわからない(ギター小僧ならわかるかも)。いずれにしてもカッコいいギターであることは間違いない。“Dead guitar”というタイトル自体がこのギターと係わっていた気もするが、記憶が定かではない。人は皆年をとる。Keith、Ronnie、鮎川。現在進行形のこの三人の偉大な先人たちの生きざまは、OGに“正しい”年のとり方とは何なのかを示してくれると同時に、ロックンロールとは単なる音楽の一形態ではなく、生き方そのものなのだということを教えてくれているような気がする。
(OG)